さーさるの独り言

さーさるの独り言

興味があること、面白いと思ったことを気が向いたときに。さーさるの独り言へようこそ。

江戸回廊

流山にレトロな街並みがあるというので行ってみました。

お供はα7とこのレンズ。

最近手に入れた「PENTACON auto  50mm F1.8」

M42マウントはプラクチカマウントとも呼ばれます。プラクチカは東ドイツの一眼レフ。これの標準レンズがPENTACONでした。このレンズの中身はプラナーではないかと言われたことがあるのだそうです。どんな写りをするんだろう。

さて、千葉県流山市です。千葉県北西部の街。市の西側は江戸川(県境)。お目当ては流山本町江戸回廊。

撮ってきた写真をいくつか並べます。

ちょっとくすんだような発色がなかなか良いと思います。

おいしいパン屋さんやおしゃれなカフェもあって良かったです。

 

モケイとホンモノ(15)

実物を見に行くよりプラモデルを手に入れるほうが手軽なので、見てきた実機のプラモデルを探して買っています。

最初に買ったのはこれ。デ・ハビランド バンパイア。英国で2番目のジェット戦闘機です。1943年初飛行。

エレール(Heller)1/72(FB.5 - 戦闘爆撃機型)。古い(70年代)キットらしいので、ディテールがお粗末なのやパネルラインの凸モールドは一歩譲るとして、接合面の段差や隙間には閉口しました。改めてタミヤやハセガワはすごいと思った次第です。隙間や段差はパテで埋めて、凸モールド含めてペーパーかけてツルツルにしちゃいました。パネルラインは塗装後にケガいています。

デカールもだめです。ラウンデルの丸は偏心しているし、文字の色も一部違うようです。そもそも変質・変色してしまっていて全く使い物になりません。スキャンしてPhotoshopで描き直してデカールも作り直しました。

さて、ホンモノです。

デ・ハビランド バンパイア F3。2019年1月ロンドン、RAFミュージアムで撮りました。超広角(35mm換算24mm)で撮ったので、尾翼がずいぶん小さく見えます。

タラコみたいな胴体後部に全長の短いゴブリンⅠ型エンジンを押込み、両主翼から伸びた細いブームの間に水平安定版が取り付けられています。

フレデリック・フォーサイスの小品「シェパード」に主人公の乗機として登場します。コンパスも通信機も何故か使えなくなって目的地を見失ったバンパイアが、どこからともなく現れたデ・ハビランド モスキート(第二次大戦中の双発戦闘爆撃機。なんと木製)に救われます。九死に一生を得て着陸したのが存在も忘れられた古い基地。そこで明らかになるモスキートのパイロットとは....。

ちなみに、フォーサイスは英空軍でバンパイアのパイロットだったそうです。

もうひとつ。航空冒険小説の名手、ギャビン・ライアルの「本番台本」に悪役側の戦闘機としてバンパイアが登場します。翻訳がイマイチですけど、作者が元英空軍少尉だっただけあって飛行中の描写はなかなかです。英空軍時代のライアルはグロースター・ミーティア(連合国初のジェット戦闘機)に乗っていたのだとか。

ところで、デ・ハビランド社。英国の航空機メーカーで飛行機好きにはおなじみの名前ですね。戦後は世界初のジェット旅客機「コメット」を送り出しましたが、連続空中分解事故による経営悪化でホーカー・シドレー(現BAe)に買収されてしまいました。

カナダの子会社デ・ハビランド・カナダ(DHC)は存続して生産を続けたそうですが、カナダ政府が国有化した後にボーイングに売却。さらにボーイングボンバルディアに売却してしまいました。ボンバルディアはカナダの重工メーカーで、キャタピラ式のスノーモービルは同社の発明にして創業製品だそうです。

会社としてのデ・ハビランドはなくなってしまいましたが、日本では国内近距離路線で活躍している双発ターボプロップ機、ボンバルディアDHC-8にデ・ハビランドの名残(DH)をとどめています。

ボンバルディアはDHC各機種の製造権をバイキング・エアに売却しますが、バイキング・エアの親会社が新たにデ・ハビランド・カナダを設立したので、めでたくデ・ハビランドの名が復活したのでした。

 

早くいかなきゃ

初詣じゃなくなっちゃう。

松の内までとか、立春までとか、いろいろ言われているようですが、ひとまず1月のうちには行っておこうと思い、行ってきました。

地元の氏神様にお参りするのが本来らしいですが、我が家は湯島天神

女坂です。

牛のお顔はツルッツル。

拝殿と本殿。

1月なのにもう梅が咲いていました。

こちらは鉢植え。

天神さまです。合格祈願の学生さんがたくさん。すごい数の絵馬です。

こんなのがあちこちに。

みんな希望校に合格するといいですね。

 

プリザーブドフラワー

軍用機ネタが続いたので、気分を変えてお花。

妻が飾ったプリザーブドフラワーです。

タムロンSP 90mmマクロで撮りました。APS-C機につけたので135mm相当。

エルンスト・ハースを真似てみたけれど....

ぜんぜんちがう。

あたりまえですね。巨匠みたいに撮れるわけがありません。

 

サブマリーン・ハンター 三代

なにかネタはないかな、とあれこれ考えてヒコーキネタを。

海自の対潜哨戒機三世代の写真を並べてみます。

ひとつめ。川崎 P-2J「おおわし」(ロッキード P-2V「ネプチューン」)。

岐阜県各務ヶ原の岐阜かかみがはら航空宇宙博物館でキレイに手入れされて余生を送っています。2022年12月撮影。

二代目、三代目は現役です。せっかくなので飛んでる姿を選びました。

川崎 P-3Cロッキード P-3C「オライオン」)。

2014年の下総航空機地祭での撮影です。

最後は最新型。川崎 P-1。

機体もエンジンも国産です。これも2014年の下総航空機地祭。

海自下総航空基地は我が家から一番近い航空基地なので航空祭にはよく行きます。昔は訓練用のYS-11がアクロバチックな着陸を見せてくれたり、P-3Cが編隊で飛行したり、習志野空挺団がパラシュート降下を見せてくれたり、となかなか見ごたえがあったのですが、最近はさっぱりです。コロナになってからはそもそも開催されず.....。

今年はぱぁ~っとやってくれないかなぁ。

 

できたぁ!

だから何?

と言われると返す言葉がないのですが、穴あけ完了です。

穴あけに使ったのは0.3mmのドリル。昨年は、10本で千数百円という海の向こう製のものを使っていたのですが、穴数個から十数個でポキリ。在庫がなくなってしまったので、奮発して国産の有名工具メーカーの品を買ってみました。

なんのことはありません。これ1本で、残りの穴すべてを開けることができました。

道具に金を惜しんではいけませんね。

 

モケイとホンモノ(14)

「モケイとホンモノ」シリーズ再開します。

まずはモケイから。

日本陸軍三式戦「飛燕」。開発名称キ61。連合国コードネームTony。製造は川崎航空機(現川崎重工)。設計主務者は土井武夫

モケイは飛燕Ⅰ型丁、タミヤ1/72。飛行第244戦隊 高島俊三少尉乗機(昭和20年、調布飛行場)です。飛燕といえば何故かこの塗装が思い浮かびます。缶スプレーの銀を吹いた後、まだら迷彩は面相筆でちまちま塗りました。

飛燕のことを「和製メッサー」と呼ぶ向きもあるようですが、このことについて、佐貫亦男センセがこうおっしゃっておられます。

「飛燕をメッサーシュミットBf109のコピーだなどというやつは設計者土井武夫さんに張り倒される。共通点は同じダイムラーベンツDB601エンジンを装着していることだけだ」(発想の航空史、朝日文庫)。

もっとも、搭載していたのはDB601そのものではなく、日本でライセンス生産した「ハ40」で、これがトラブル続出のシロモノ。出力向上を図ったハ140はさらに製造が困難で、首なし(エンジンがついていない)飛燕の機体が工場にズラリと並んだのだそうです。

これについても佐貫亦男センセ曰く「(当時の日本では)縦型エンジンの背骨ともいうべきクランク軸が、まだまともに生産できない」(佐貫亦男のひとりごと、グリーンアロー出版社)。

ハ40はV型12気筒、排気量34,000cc、全長約2m、重さ約640kgというデカい液冷のエンジン。V12の長く複雑なクランク軸の製造に用いる巨大鍛造ハンマーが当時の日本にはなかったそうです。他にも研削、軸受、冶金などの技術的問題に加え、軍の場当たり的な命令でまともなものは作れなかったみたいですね。

これでめげなかったのが土井技師のすごいところ。空冷星型エンジンに換装しても性能低下させないことは可能であると主張し、実証してみせたというのです。

液冷エンジンに合わせて設計した細い機体に直径の大きな星型エンジンをつけると、段差の部分に渦が生じて抗力が増すところを、排気管を並べて渦を吹き飛ばす構造にして解決したのでした(フォッケウルフFw190を参考にしたとは土井技師ご本人の弁)。

首をすげ替えられた戦闘機は予想外の高性能を発揮し、五式戦と名付けられて三百数十機が生産され、大戦末期の数ヶ月、本土防衛で活躍したのでした。

ところで、NHKの名番組「プロジェクトX」に「翼はよみがえった YS-11開発」(前後編)というのがあります(ネットで見られます)。これに土居武夫ご本人が出演しています。

さて、ホンモノ。

このアングル、カッコいいですね。Ⅱ型の試作17号機です。飛燕の生まれ故郷、岐阜県各務ヶ原にある岐阜かかみがはら航空宇宙博物館で展示されています。2022年12月の撮影。海外で修復中の機体はあるようですが、現存する世界で唯一の飛燕です。

この機体は、終戦後に福生で米軍に接収され、後に日本に返還されたもの。日本各地で展示された後、生みの親である川崎重工岐阜工場で大掛かりな修復が施され、ここ各務ヶ原の地で余生を送っています。

修復の際、真っ先に行われたのは塗装の剥離。展示用の間に合わせ塗装の下には自動車修理用のパテが大量に使用されていたのだとか。この塗装剥離の過程で、機体各所で発見されたステンシル跡から正しい機番が判明したといいます。古いお寺を解体修理して建立年が確定した、みたいな話ですね。まるで文化財の修復です。

復元が必要な部品は、実機を三次元測定器にかけて得られたデータをCATIA V5(仏ダッソー社のハイエンド三次元CADね)に取り込んで再設計し、3Dプリンターまで動員して作り直したそうです。「飛燕」「修復」二語でググると、修復過程を紹介した記事や、修復プロジェクト全容のプレゼン資料などを見ることができます。

展示されている飛燕は無塗装で、いわば素っ裸。むき出しのジュラルミンの地肌が「ぼくはホンモノだよ」と静かに主張しているようでした。

 

モケイとホンモノそっくりさん

ほんとはモケイとホンモノシリーズの新作にしたかったんですけど、実機じゃないので番外にしました。

モケイです。

日本陸軍一式戦闘機「隼」。開発名称キ43。連合国コードネームOscar。製造は中島飛行機。設計主務者は小山悌(やすし)。

モケイはハセガワ1/72、隼Ⅱ型。飛行第50戦隊第3中隊穴吹軍曹乗機です。缶スプレーの銀をぶわぁーっと吹いた後、ちぎったスポンジで緑をポンポンと。プロペラは間違って黒を塗ってしまいました(ほんとは茶色)。

ホンモノそっくりさんがこちら。

2022年11月、鹿児島県知覧の特攻平和会館での撮影です。2007年公開の映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」(脚本・製作総指揮 石原慎太郎)のために2機製作されたⅢ型甲のレプリカ。もう1機は特攻平和会館内に展示されていて、そちらは撮影禁止。プロペラやキャノピー等の形状がちょっと違うように思いますが、とても良くできています。

ところで、小山技師の手による戦闘機は、主翼前縁が機軸に対して直角であることが最大の特徴です。調べてみたら、初期の九七戦(キ27)、一式戦隼(キ43)、二式戦鍾馗(キ44)、四式戦疾風(キ84)そして小山技師が設計から退いた後のキ87、特攻兵器として悪名高いキ115 剣に到るまですべてこの特徴を備えています。

佐貫亦男センセがその理由を小山悌ご本人に聞いたところ、「主翼上面の翼端方向への流れが止められる」(発想の航空史、朝日文庫)、「翼上面後部で翼端から付け根に向かって流れる速度を形成して剥離を止め、翼端失速を防いで補助翼の利きを保つため」(続々・飛べヒコーキ、光人社NF文庫)ということなんだそうです。CFDで流れを可視化したらどんなふうに見えるんでしょうね。興味あります。

余談ですが、戦前から第2次大戦にかけて、日本の名機を手がけた設計者は軒並み東京帝大航空学科の出身でした。木村秀政(航研機)、堀越二郎零戦雷電、烈風)、本庄季郎(一式陸攻)、土居武夫(飛燕)、菊原静男二式大艇紫電改)などみなそうです。この方達の多くが後の国産旅客機YS-11の開発に大きな役割を果たすことになります。

対して小山悌は東北帝大の機械学科出身。航空機の名設計者でありながら、戦後は航空機はもとより自動車や鉄道などの産業にかかわることを拒み続け、林業に打ち込んで農学博士となった変わり種です。メディアへの露出を嫌い、自ら設計した航空機について語ることはほとんどなかったそうな。

その半生は小説「銀翼のアルチザン 中島飛行機技師長・小山悌物語」(長島芳明著、角川書店)でうかがい知ることができます。

 

砕氷船三代

正月とは関係ないネタです。

昨年、年も押し詰まった12月24日、第64次南極観測隊が南極に着きましたね(定着氷接岸)。東京港を出発したのが11月11日ですからほぼ一月半。長旅ご苦労様でした。

昨年東京青海で久しぶりに「宗谷」を見たのがきっかけで、名古屋まで「ふじ」を見に行きました。昔撮った「しらせ」の写真もあるので、三代の砕氷船を並べてみようと思います。

まず初代「宗谷」

二代目「ふじ」

そして三代目「しらせ」

三代目「しらせ」は船橋港にいます。

四代目(現役の)「しらせ」は今南極ですね。

これはおまけ。

三代目「しらせ」の理髪店です。こういうネーミングセンス好きだなぁ。

アイキャッチ画像はしらせの舵輪です。

 


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Header Background image by nhaataja from Pixabay. Thanks for the great image.