さーさるの独り言

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ドラマチックな宗谷

東京国際クルーズターミナルのすぐそばに初代南極観測船「宗谷」が係留展示されています。久しぶりなのでこちらも撮ってきました。

オリンパスのアートフィルター「ドラマチックトーン」で撮りました。

これも同じ。

南極観測船として知られていますが、正式には海上保安庁の巡視船だそうです。2736.1総トン、全長83.3m。

そういえば、再放送を録画してほったらかしにしているNHKプロジェクトX」に宗谷の話があったような気がして探し出して見てみました。写真はドラマチックトーンで撮りましたが、宗谷の一生(そして第一次南極観測隊も)もドラマチックなものでした。

宗谷は南極観測船として新造された船ではなく中古船。南極観測船の候補として白羽の矢がたった時点で船齢18年。当初は砕氷型貨物船としてソ連から発注を受けて建造されたものの、当時の時局からソ連には引き渡されず、紆余曲折の後、帝国海軍が買い上げて「宗谷」と命名されました。戦時中は雑用運送鑑(何でも運ぶ船)として使用され、数々の修羅場をくぐり抜けて終戦を迎え、戦後は引揚船を務めたそうです。

南極観測船候補となったときは海上保安庁灯台補給船でした。船体はサビだらけで甲板は穴だらけのボロ船だったそうですが、激戦の海域を生き延びた強運(爆撃されても急所を外れ、直撃された魚雷は不発弾等)が採用の決め手になったらしいです。

内部も無料で公開されています。下3枚の写真は2011年撮影ですが、今も同じものが見られるようです。

宗谷の外にはプロペラが展示されています。

宗谷のものかと思いきや、これは青函連絡船(知っている人どのくらいいるだろう)「羊蹄丸」のものです。なぜそんなものがここに、と思うかもしれませが、かつて宗谷と並んで羊蹄丸が係留展示されていました(↓)。これも2011年撮影です。

残念ながら解体されてしまったみたいですね。

宗谷の人生(?)もドラマチックですが、第一次南極観測に関わった人たちの人生もドラマチック。第一次観測隊長を務めた永田武(ノーベル賞候補と言われた地球物理学者)、宗谷の本格的な砕氷船への改造設計を担当した牧野茂(大和の設計に携わった元呉海軍工廠造船部設計主任)などすごい人達がたくさんいます。

なかでも白眉は観測隊副隊長兼初代越冬隊長(このとき53歳)の西堀榮三郎。スーパーマンです。雪山讃歌の作詞者にして日本登山会のカリスマ。理学博士。京大で教鞭を取った後東芝に入り天才技術者と言われ。戦後はデミング賞受賞、70代でヒマラヤ遠征隊隊長を2度。学生時代はノーベル賞受賞直後のアインシュタインが京都を訪れた際に通訳を勤める。

今の日本にこんな人いないだろうなぁ。

いろいろ書いたウンチクはNHKプロジェクトX」、Wikipedia、西堀榮三郎記念探検の殿堂によりました。

 


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