さーさるの独り言

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モケイとホンモノ(14)

「モケイとホンモノ」シリーズ再開します。

まずはモケイから。

日本陸軍三式戦「飛燕」。開発名称キ61。連合国コードネームTony。製造は川崎航空機(現川崎重工)。設計主務者は土井武夫

モケイは飛燕Ⅰ型丁、タミヤ1/72。飛行第244戦隊 高島俊三少尉乗機(昭和20年、調布飛行場)です。飛燕といえば何故かこの塗装が思い浮かびます。缶スプレーの銀を吹いた後、まだら迷彩は面相筆でちまちま塗りました。

飛燕のことを「和製メッサー」と呼ぶ向きもあるようですが、このことについて、佐貫亦男センセがこうおっしゃっておられます。

「飛燕をメッサーシュミットBf109のコピーだなどというやつは設計者土井武夫さんに張り倒される。共通点は同じダイムラーベンツDB601エンジンを装着していることだけだ」(発想の航空史、朝日文庫)。

もっとも、搭載していたのはDB601そのものではなく、日本でライセンス生産した「ハ40」で、これがトラブル続出のシロモノ。出力向上を図ったハ140はさらに製造が困難で、首なし(エンジンがついていない)飛燕の機体が工場にズラリと並んだのだそうです。

これについても佐貫亦男センセ曰く「(当時の日本では)縦型エンジンの背骨ともいうべきクランク軸が、まだまともに生産できない」(佐貫亦男のひとりごと、グリーンアロー出版社)。

ハ40はV型12気筒、排気量34,000cc、全長約2m、重さ約640kgというデカい液冷のエンジン。V12の長く複雑なクランク軸の製造に用いる巨大鍛造ハンマーが当時の日本にはなかったそうです。他にも研削、軸受、冶金などの技術的問題に加え、軍の場当たり的な命令でまともなものは作れなかったみたいですね。

これでめげなかったのが土井技師のすごいところ。空冷星型エンジンに換装しても性能低下させないことは可能であると主張し、実証してみせたというのです。

液冷エンジンに合わせて設計した細い機体に直径の大きな星型エンジンをつけると、段差の部分に渦が生じて抗力が増すところを、排気管を並べて渦を吹き飛ばす構造にして解決したのでした(フォッケウルフFw190を参考にしたとは土井技師ご本人の弁)。

首をすげ替えられた戦闘機は予想外の高性能を発揮し、五式戦と名付けられて三百数十機が生産され、大戦末期の数ヶ月、本土防衛で活躍したのでした。

ところで、NHKの名番組「プロジェクトX」に「翼はよみがえった YS-11開発」(前後編)というのがあります(ネットで見られます)。これに土居武夫ご本人が出演しています。

さて、ホンモノ。

このアングル、カッコいいですね。Ⅱ型の試作17号機です。飛燕の生まれ故郷、岐阜県各務ヶ原にある岐阜かかみがはら航空宇宙博物館で展示されています。2022年12月の撮影。海外で修復中の機体はあるようですが、現存する世界で唯一の飛燕です。

この機体は、終戦後に福生で米軍に接収され、後に日本に返還されたもの。日本各地で展示された後、生みの親である川崎重工岐阜工場で大掛かりな修復が施され、ここ各務ヶ原の地で余生を送っています。

修復の際、真っ先に行われたのは塗装の剥離。展示用の間に合わせ塗装の下には自動車修理用のパテが大量に使用されていたのだとか。この塗装剥離の過程で、機体各所で発見されたステンシル跡から正しい機番が判明したといいます。古いお寺を解体修理して建立年が確定した、みたいな話ですね。まるで文化財の修復です。

復元が必要な部品は、実機を三次元測定器にかけて得られたデータをCATIA V5(仏ダッソー社のハイエンド三次元CADね)に取り込んで再設計し、3Dプリンターまで動員して作り直したそうです。「飛燕」「修復」二語でググると、修復過程を紹介した記事や、修復プロジェクト全容のプレゼン資料などを見ることができます。

展示されている飛燕は無塗装で、いわば素っ裸。むき出しのジュラルミンの地肌が「ぼくはホンモノだよ」と静かに主張しているようでした。

 


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