さーさるの独り言

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たまには異国

先だって久しぶりにタイへ行ってきました。

すみません、ウソです。

千葉県成田市にあるタイ寺院ワットパクナム日本別院です。

日本のそこかしこにある外国名所のレプリカではありません。日本で暮らすタイの人たちのために建てられた”ホンモノ”のタイ寺院です。

「別院」とあるとおり、本院はバンコクにある「ワット・パークナム」。幻想的な天井画で有名ですね。

千葉県内のフォトスポットを探していて見つけ、早速行ってみました。場所は成田郊外。一面の畑の中にその寺院は建っていました。

狭い入り口からクルマを乗り入れてみると、なにやら催しでもしていたのか、屋台のテントみたいな覆いの下でおばさんたちが片付けものをしていました。

駐車場にクルマを停めて外に出てビックリ。聴こえてきたのは外国語。タイ語なのでしょうね。わぁ、タイだ。

撮ってきた写真を並べます。

長年千葉に住んでいますが、成田にこんなところがあったなんて全く知りませんでした。

敷地内は日本語の表記を除けば、どこから見てもタイでした。

 

 

 

鬼子母神は不思議なところ

都電荒川線の路線図を見ると、早稲田から三つ目が「鬼子母神前

聞いたことはあるけれどどんなところか知りません。行ってみましょう。

こんな感じの道を歩いていきます。黄葉のシーズンは銀杏がキレイでしょうね。

ところで、都電の停留場名は「キシジンマエ」。目的地の鬼子母神のほうは「キシジン」。紛らわしいですね。

参道入口につきました。あれ、「鬼」の字にテン「’」がない。

帰ってから調べてみたら、人を喰らう鬼女が釈迦に諭され仏の道に入り、安産・子育の神となったので角(「鬼」の「’」)が取れたんだって。

突き当りまで歩いて左を見たらありました。

鬼子母神堂です。

この情景(↑)を見てわけがわからなくなりました。鬼子母神の御本尊は大黒天? でもお稲荷さんの鳥居もある。鬼子母神って神社だっけ!? 入り口には仁王様がいるからやっぱお寺だよなぁ...。

背景ボケ、ぐるぐる...。

境内にあるお稲荷さんです。

さらには、境内に場違いな駄菓子屋さんがあります。

なんとこの駄菓子屋さん、江戸時代からあるんだそうです。

さて、鬼子母神の建物です。

建物横の石碑には「法明寺鬼子母神堂」と書いてあったので、お寺なんでしょうね。ご本尊は名称通り鬼子母神(仏様の区分では「天」に属するらしい)。

豊島区教育委員会が設置した説明書きを読むと、「手前から拝殿・相の間・本殿の三つの建物で構成される」とあります。おや。本堂とか金堂とか書いてあればお寺だと納得できるのですが、拝殿とか本殿って神社ですよね。おまけにこの建物は権現造だと書いてありました。権現造も神社の建築様式です。神仏習合ということで理解しておけばいいのかな。

境内の大公孫樹をバックにした仁王様。

お寺なんだか神社なんだか私にはイマイチ腑に落ちない鬼子母神堂でした。

 

懐かしのフォークソング

三ノ輪橋から都電荒川線に乗って終点の早稲田まで行ってみました。三ノ輪橋と打って変わって都会。線路沿いに少し戻って神田川に出てみました。

あなたはもう忘れたかしら ♫ 赤い手ぬぐい.... ♪

歌詞のイメージとは違う気がするけれど神田川です。でもまぁ、秋葉原あたりを流れている神田川はビルの間の汚い用水路ですけど、ここは両側に緑があるだけマシですね。

橋を渡った側の通りです。

なかなかいい雰囲気の通りでした。

表通りに戻ってしばらく歩くとこんな橋がありました。

面影橋から天満橋

えっ、何その歌?

六文銭って知らない?  及川恒平は? 小室等は?

知らない。小室哲哉なら知ってる。

という感じで、きっと知らない人が多いんだろうなぁ。

この歌の面影橋がここかどうかは知らないのですが、まあそれはさておき.....。

面影橋から見た神田川です。背景のボケが少しぐるぐるしています。

表通りに戻ってまたしばらく線路沿いを歩きました。

もう少し歩けるかな。

 

 

三ノ輪橋界隈

昭和のレンズの試し撮りは昭和の面影が残っているところが相応しいと思い、あれこれ考えて都電荒川線沿線に決めました。いつか行ってみようと思ってはいたのですが、足を向ける機会がないまま何十年も経ってしまいました。

まず向かったのは都電荒川線の一方の始点・終点である三ノ輪橋。停留場周辺からして昭和のまま時間が止まってしまったかのような雰囲気です。

停留場すぐ近くの商店街。

歴史を感じさせるお蕎麦屋さん。砂場でした。

こんな路地もありました。

三ノ輪橋の停留場。

これぞオールドレンズ!

隣の停留場まで歩いて、三ノ輪橋まで線路沿いを戻ってみました。

ブロック塀と柵の間は通路です。マジです。歩けます。

こんな雰囲気の踏切、うちの近所にはないなぁ。

線路沿いの花がいい感じです。

線路はところどころ草ぼうぼう。

線路沿いの花は沿線の方々が丹精込めて育てているのだとか。いいですねぇ。

店じまいしてしまった(たぶん)飲食店。

路地裏に放置されたままのガラクタ。

この後、電車に乗って終点の早稲田まで行きました。一駅乗っても終点まで行っても170円。駅(停留所)数30、所要時間50分強。こんな安い電車はそんなにないんじゃなかろうか。

 

革と格闘

中古でポチったソニーα7につけたストラップは手造りしました。これが一苦労。

素材となる革紐を買いにいつものホームセンターへ行ったのですが、ほしいと思っていた茶色が厚さ3mmのものしかありません。どちらかというとベルト用ですね。どうしようかな。思案することしばし。よし、薄く削ぐぞ。

革を薄くするには専用の鉋(カンナ)を使うらしいのですが、そんなのもの持ってません。で代用したのが木工用の台鉋。原理は同じなんだから使えるでしょう。これでガシガシ削っていきます。

革紐両端(カメラに取り付ける部分)を細くかつ薄くします。

床面(上写真下)は茶色のトコノール塗布後です。

次にカメラ取り付け部分のキズ防止の革小片を作ります。

透明トコノールで床面を仕上げ、鋲でカシめて完成です。

さて、カメラに取り付けてと。しまった、ちょっと短かった....。

 

母艦がやって来た

昔のレンズをつけて遊べるカメラ(母艦)を物色していました。フルサイズのミラーレス。新品なんて高くて手が届かないので、最有力候補はソニーα7の古いやつです。

フリマサイトやオークションサイトを行ったり来たり。ようやく納得の行く物件を見つけてポチリました。

ソニーα7の初代機です。ボディのみで¥6万也。小さいキズが少々ありましたがおおむねキレイです。元箱あり。付属品は説明書、ストラップ、バッテリーだけ。シャッターカウントを調べてみたら1464。まぁこんなもんでしょう。

ボディ内手振れ補正がついた二代目とは約125g、ベストセラーになった三代目とは約176g、最新の四代目とは約184gの重量差があります。古いレンズは金属とガラスの塊(=重い)というのが多いので、ボディは少しでも軽いほうがいいですね。細かいことですけど、初代機はレリーズボタンが軍艦部にあるというのも昔の一眼レフのようで好みです(二代目以降はグリップ部に移動しました)。

古いレンズで遊ぼうと思っているので、ボディも昔のカメラのような装いにしてみました。

ヒコーキのマスコットは「私のだよ」という目印。他のカメラにも同じものをつけています。

ついているレンズは、父が遺してくれたバルナックタイプのキヤノンについていたCANON LENS 50mm F1.8。ピントを合わせて絞りを決めて(絞り込み測光のときはこの順ね)シャッターを押す。昔馴染んだリズムが年寄りにはちょうどよろしい。ズーミングは足で行うことになるので多少は運動不足解消にもなります(ならないか😅)。

さあて艤装も完了したし、試験航海はどこへ行こうかな....。

 

モケイとホンモノ(13)

第一次大戦機をもう一つ。またドイツ機です。フォッカー D Ⅶ。ローデン 1/72(たぶん)。胴体のマーキングと上下主翼のローゼンジ(菱形)迷彩は手書きです。

ホンモノは下からのショットです。

2019年撮影。RAFミュージアム、ロンドン。

鋼管溶接の骨組みに羽布張り。エンジンは、初期型はアルバトロスと同じくメルセデス、後期型はBMW。ともに液冷直列6気筒

いかにも第一次大戦当時のヒコーキといった不細工な形で、空力的に優れているようには見えませんが、性能は良かったみたいです。

私淑する佐貫亦男センセによれば「第一次大戦中のドイツ機の最大傑作」、「経験の足りない操縦者でも経験者に近い戦闘が可能」とべた褒めです(「ヒコーキの心」、光人社NF文庫)。

モケイとホンモノシリーズ、これにてひとまずおしまいです。ネタ切れになりました。モケイはあるけどホンモノの写真がない(またはその逆)のです。いずれ両方揃ったら再開するかもしれません。

モケイとホンモノ(12)

「モケイとホンモノ」シリーズ久しぶりの投稿です。これまでは第二次大戦機が多かったですが、第一次大戦まで遡ります。

ドイツのアルバトロス D.Ⅴです。エデュアルド 1/72。木目、マーキングを含めて頑張って手書き・筆塗りしました。

上翼の中ほどにある銀色の部分はラジエーター。そう、メルセデスの液冷エンジンが搭載されていたのです。このタイプではラジエーターは胴体中心から少し右にずらした位置にありますが、初期型では胴体中心軸上。ということは、ラジエーターに被弾するとパイロットは熱湯をモロにかぶるという恐ろしい設計でありました。
さてホンモノです。

2019年撮影。RAFミュージアム、ロンドン。

木製とはいえ、合板セミモノコック構造の流麗な機体です。性能も良さそうに見えますが、一葉半(下翼の翼弦長が短い)という形式のため、下翼が強度不足のためにねじれるという欠陥があり、それほど優れた戦闘機ではなかったみたいですね。

 

ちょこっと佐原

猛暑が一段落したので、水郷の町・北総の小江戸、佐原へ行って写真を撮ってきました。連れていったカメラは最近よく手が伸びるFujifilmのX-E2。10年近く前のモデルですが、未だ元気で活躍してくれています。つけたレンズは7artisans(七工匠)の25mm F1.8。マニュアルフォーカスの軽いレンズが欲しくなって中古をポチりました。

このところいつも組み合わせていた非AiのNikkor 50mm F1.4はちょいと重い(フォーカスレデューサー付きで490g)のでお休みです。7artisans 25mmは155gしかありません。

さて、駐車場に車を放り込んでお散歩スタート。フィルムシミュレーションはぜんぶクラッシッククロームです。

猛暑が一段落したとはいえやはり真夏。「氷」の幟に惹かれますね。

佐原名物のひとつ「樋橋」。

元々は、江戸時代、農業用水の水を、橋の下を流れる小野川対岸の水田に送るための「樋」(雨樋の「トイ」ね)として作られたそうです。溢れた水がじゃぁじゃぁ流れ落ちるので通称「じゃぁじゃぁ橋」。今では樋の上に橋がかけられていますが、観光用に30分おきに溢れさせています。

佐原で一番有名な人物といえば伊能忠敬。旧宅が残されています。下写真は邸内。

こちらは庭から眺めた旧宅全景。

散歩を続けます。

軒先の風鈴も暑さに負け気味です。

ほおずきが干してありました。個人的には透かしほおずきが好みです。

こんな家並みが続いています。

一軒だけ混じっている古い洋館。

小舟めぐりが人気です。乗船待ちの人が結構いました。下写真左の葦簀のところが乗船券売り場。

かき氷でも食べて一休み、と思ったのですが、どこも満席+行列。そうか、お盆休みだ。年寄りはコロナ感染が怖いので、泣く泣く諦めて帰ることにしたのでした。

 

試してみるか

最近ときどきFujiのX-E2に付けて持ち出している昔々のレンズ、Nikkor-S Auto 50mm F1.4。手に入れたときは、安かった代わりにカビだらけの汚い個体で、フォーカシングリングも塗装がハゲてあちこちアルミの地肌が見えていました。

レストアした際、黒のスプレーを念入りに吹いて一見新同品にしたものの、所詮、素人の塗装。焼き付け塗装じゃないので、この炎天下で何度か外に連れ出しているうちに塗料が軟化してハゲて来ました。

よし。試してみるか。

何を試すかというと、陶器用のマーカーです(↓)。

以前、ホームセンターをぶらついていたときに見つけたもの。好きな絵を書いてオーブンで焼くと自分だけのマグカップやグラスができる、というものです。これだ!って思いましたね。黒を1本買い求め(150円くらいだったかな)、今度機会があったら試そうと思っていました。

溶剤で塗料を拭き取ったフォーカシングリングがこちら(↓)。

らくやきマーカーを塗って説明書通りオーブンで焼いた後がこちら(↓)。

きれいになりました。触ってみた感じは、塗料を吹き付けただけよりは硬そうです。

レンズに取り付けて完成です(↓)。

それにしても存在感あるなぁ、このレンズ。

ところで、不思議に思っていることがあります。クラッシックカメラやオールドレンズのレストアに関する情報はネット上にものすごくたくさんありますが、外観のレストアに関して書いてあるものをほとんど見たことがありません。たまにカメラ本体の貼り革を交換した、というのを見かけるくらいです。カメラ・レンズ外観のキズ、スレ、塗装剥がれはだいたいほったらかし。気にならないんだろうか。

自動車をレストアする方は、メカ部分をちゃんと動くようにするのはもちろんのこと、最後はボディや内装までピカピカにします。オールドカメラ・レンズの外観はどうしてかまってもらえないんだろう....。

 


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