さーさるの独り言

さーさるの独り言

興味があること、面白いと思ったことを気が向いたときに。さーさるの独り言へようこそ。

かんちがい

勘違いしていました。寅さんの口上を。

長いことこうだと思っていました。

「手前、生国と発しますは葛飾柴又...」

でも違ってたんです。正しくはこうでした。

「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です」

いたって普通の文章。私が覚えていたのは渡世人の一般的な言い方のようですね。

さて、先日レストアしたトリオターで帝釈天を撮りに行ってきました。お天気なので駐車場は空いていないだろうと思って電車で行きました。

京成金町駅です。

京成金町京成金町線の終点・始点。ここで乗って柴又は次。柴又の次は終点の高砂京成金町線は駅が3つしかないのです。

老舗日本料理店ゑびす屋さんの巨大ゑびす飾り。

いつも子供で(大人も)賑わっている駄菓子屋さんの看板。

ホーローの看板がめちゃ昭和。

参道入口です。

人がいっぱい。

135mmでもけっこうな圧縮効果が得られます。

高木屋老舗さん。

寅さんの「とらや」のモデルですね。

参道を進むと帝釈天の屋根が見えてきました。

今度の週末は寅さんサミットです。

背景のボケは少々2線ボケ傾向かな。

懐かしのポストもまだ現役(らしい)。

境内を一廻りして駅に戻ります。

柴又駅前には、旅に出る寅さんと、見送るさくらの像があります。

人気の記念撮影スポットなので、この1枚を撮るのにかなり待ちました。

トリオター、なかなか良く写ります。カリカリにシャープじゃないところも、ちょっとくすんだ発色も気に入りました。

少々重く、かさばる(なにせ天狗の鼻です)ので気軽に持ち出す気になれないのが難点です。

 

天狗の鼻

昔、会社の同僚からいただいた古いレンズをレストアしました。ブツはカールツァイス イエナのトリオター 135mm F4、M42マウント。1950年前後に製造されていたようですね。

手を入れた箇所はレンズ清掃とヘリコイドグリスの入替え、そして外観汚れ落としです。

早速バラしてみましょう、と改めて外観を眺めるとどこにもネジが見当たりません。あれ?

ぐるりと一周見渡してもどこにもありません。どうやってバラすんだろう?

ネットを検索してもこんなレンズのレストア記事など見当たりません。ダメ元で海外情報を探してみたら、YouTubeにありました。

このレンズ、後ろから覗くと太いカニ目溝が見えます。

これを回すんですね。でもこんな奥深いところにある太いカニ目溝にかませる工具などありません。さて、どうしよう。

あれこれ考えて作ったのがこれ。

3mmネジの長いやつを切断して両端を平ら(裏表)に削りました。これをカニメ溝にはめ込んでプライヤで挟んでエイッ!

外れました。

フォーカシングユニット(右の黒いやつ)を前から見るとネジが見える(↓)ので、等間隔の3本を外すと、ヘリコイドを取り外すことができます。

バラバラになりました。

ヘリコイドは2重になっていない単純なもの。グリスは一応粘度を保っていましたが、製造当時のものではないでしょうね。洗剤とアルコールできれいにします。

グリスを塗って組み直します。それにしてもこのヘリコイド、すごい条数ですね。

レンズは難なくバラせるので、レンズを外して清掃します。トリプレットなのでレンズは3枚しかありません。

絞りリングが腐食して汚いので、柔らかいワイヤブラシでガシガシ磨きます。細かな傷がつくのは気にしない。

きれいになりました。

ワイヤブラシでF値目盛りの塗料も取れてしまったので墨入れをし直します。

化粧リングも文字がかすれていたので塗り直して、最後はフォーカシングユニットを組み立てておしまいです。

ヘリコイドのところは、回転方向の位置と光軸方向の位置をうまく合わせないと無限遠が出ないので、仮組みしてカメラにつけて遠くを眺め、ダメならやり直しを何度か繰り返しました。

できたぁ!

ネットで目にする「Carl Zeiss Jena Triotar 135mm F4」は、全体が無垢アルミのものばかり。まるでサーモカップです。私の個体のような黒アルマイト仕上げは見たことがありません。レア物なのでしょうか。

この当時の長焦点レンズは、今どきのレンズには見られないひょろ長い形をしていますね。カメラに取り付けたら天狗の鼻みたいになりました。

さて、どこへ何を撮りに行こうかな。

 

雨上がりのお城跡

この三連休も私の住んでるあたりは芳しくないお天気でした。最終日の今日、午後から晴れるというので、古レンズをつけたカメラを持ってお城跡の公園へ行ってきました。

佐倉城址公園です。佐倉藩のお城があったところ。どんな藩だったんだろうと調べてみたら、江戸初期は親藩、後に譜代、中期から幕末までは堀田氏約11万石の居城。全国諸藩約270(幕末時点)のなかで老中を最も多く出した藩が佐倉藩なのだそうです。

「日本百名城」のひとつに数えられているみたいですが、天守はもちろん、門とか櫓といったお城らしい建築物は残っていません。明治維新後、陸軍歩兵連隊が置かれていたのでほとんど取り壊されたんだって。現在一番目立つ建物は国立歴史民俗博物館。お城の名残は、土塁や空堀といった地形でしょうか(上写真)。

広い公園をぶらぶら歩いて古レンズらしい写真になりそうな被写体を探しました。お供に連れて行ったのは緑のロッコール(58mm F1.4)。写真は1枚を除きすべて絞り開放(F1.4)、リサイズ以外はJPEG撮って出しです。

これはツツジかなぁ。

一段絞ってF2にすると絞りの形(六角形)が出ちゃいますね。

うん、いい感じのフレアが入りました。オールドレンズの絵だ。

いい感じの水滴と玉ボケ。

これはレンズの描写じゃなくて、ほんとにこんな感じでした。

ピンクの花は何だろう?

蹲の水面がいい感じです。

歴史を感じさせる石碑。

水に濡れている感じがよく出ていると思います。

雨上がりだったので、足元はぬかるむし、樹々の高いところからは雨のように水滴が落ちてくるし、そこそこに引き上げました。紅葉の時分にまた来ることにしましょう。

 

テーマ変更

飛蚊症のせいで見える糸くずのような影が、白い背景だとやたら目立って邪魔なので、暗い背景に変えました。

うん、少しは目立たなくなりました。

ついでに収拾がつかないほど増えてしまったカテゴリを整理しました。もうひとつついでに、PCとiPhoneをダークモードに切り替えました。

 

 

消せないゴミ出現

最初は蠅でした。
変化しながら次第に大きくなって糸くずかタバコの煙みたいになりました。この間2~3日。飛蚊症です。

NatishusによるPixabayからの画像)

緑内障で通院している眼科で診てもらったら、「歳のせいです。専門的には後部硝子体剥離といいます。しばらくしたら慣れますよ」とのお告げ。剥がれたところがいろいろな形の影になって網膜に写るんだそうです。

そうは言われたものの、視線の先にあるし、形を変えながら動き回るので鬱陶しいったらありゃしません。

オールドレンズは味わいのある画を見せてくれますが、飛蚊症の場合はセンサーゴミが盛大に写り込んだ画みたいなものでいただけませんね。

レーザーで症状を軽減させる治療というのを調べてみたら、10万円以上かかるし、緑内障や治療対象部位が網膜に近い場合は適用できないとあります。こりゃ仲良くするしかありませんね。Photoshopの「コンテンツに応じた塗りつぶし」みたいに消せるといいんですけど.....。

 

雨模様の花街

現役時代の鬼上司に誘われて都内へ飲みに行きました。場所が市ヶ谷だったので、早めに家を出て昔の町並みでヘリアー40mmを試してみることに。

お目当ての場所は神楽坂。市ヶ谷ひと駅手前の飯田橋が最寄り駅です。天気は生憎雨模様でしたが、ピーカンの晴れより雨のほうが古い花街にはお似合いだったのでは、と思っています。

メインストリートの神楽坂通り。

ひょいと路地に入るとこんな感じ。

いい感じの石畳が続きます。

神楽坂の路地といえば必ず出てくる場所。

工事のシートがイマイチでした。

路地を進みます。

石段が見えてきました。

石段を登って振り返った眺め。

ちょっと広い通りに出ました。

神楽坂にはよさげなお店があちこちにあります。

お寺や神社も。これは毘沙門天 善國寺。

Y字路を見つけました。

Y字路を探し歩く散歩もあるみたいですね。

40mmという画角、広すぎず狭すぎず、街歩きにちょうど良さそうです。

この後、市ヶ谷のお店まで歩いたのですが思いの外遠くて参りました。

余談ですが、鬼上司とは今は仲良しです。

 

ちんどー

バルナックタイプのライカについているレンズがほしいと思っていました。使わないときは引っ込めておける、いわゆる沈胴式レンズ。こんなやつ(↓)です。

Juraj VargaによるPixabayからの画像)

でもライカのレンズは、エルマー、ズマール、ズマロン、ズミター、ズマリット、ズミクロンなどなど50年以上昔のレンズがなんでこんなにするの、というくらい高額です。ライカのブランドパワーおそるべし。

ところで、ライカのレンズ名には「Summ*」(*は任意のn文字ね)というのが多くあります。これは「最高のもの」を意味するラテン語「Summa」に由来しているんだそうですね。

閑話休題

オークションサイトでたまに見かける安い沈胴レンズはキズだらけでどこかがおかしいジャンク品。そこそこまともな個体を手に入れようと思ったら5万円は覚悟しないといけません。おまけにフィルム時代の沈胴レンズは引っ込めると後ろに飛び出してセンサーにあたるのでカメラに装着したときは引っ込めてはいけないのだそうです。

そこで目をつけたのがコシナが出したフォクトレンダー ヘリアー40mm F2.8。新品でも5万円を切っていました。カメラに装着した状態で引っ込めても大丈夫。

このレンズ、ライカMマウントなのにヘリコイドがないので、Mマウントライカにつけても使えない(無限遠固定)というヘンなレンズです。どうするかというと、コシナが出しているヘリコイド付き[ライカM→ソニーE]マウントアダプターを介してソニーαで使う、という変わり種です。

残念ながらディスコンになってしまったので中古探しに精を出しました(もとより新品を買うつもりはなかったけど)。

辛抱強く探して見つけたキレイな個体。25,000円也でした。

ヘリコイド付きマウントアダプターは、コシナ純正は高いので、焦点工房のをチョイス。加工精度はイマイチですけどまあしょうがない。こちらはマイナポイントを使ったのでタダ。

憧れのちんどーレンズです。

写真右上の古いカメラはフォクトレンダーのペルケオ。6×6版のレンジファインダーカメラ。

だんだん沼にはまってきました。片足は確実に抜けません....。

 

地上の船と水上の車

ヒコーキとカメラだけでなく、メカもの、とりわけ乗り物が好きなので、ここはお気に入りの場所でした。

船の科学館。船の形をした巨大な建物に、船に関するいろいろなものが展示されていましたが、2011年に展示休止となってしまいました。船だけじゃなく、野外には二式大艇も展示されていたのですが、これは2004年に鹿児島の海自鹿屋基地へ行ってしまいました。現在はすぐ隣の別館と野外展示品が少し、そして南極観測船宗谷だけが展示されています。

近くだと大きすぎて船の形がイマイチ実感しにくいのですが、離れて見るとまさに船。これは国際クルーズターミナルから撮ったものです。

中には見上げるほど巨大な船舶用ディーゼルエンジンが展示されていました(2011年撮影)。

シリンダー径720mm、ストローク1,500mmの3気筒という化け物です。大きすぎてあとから搬入するのは無理なので、最初にこのエンジンを据付けた後に科学館を建てたのだそうです。今でも建物内に鎮座しているのでしょうね。

青海の埋立地内を移動中、信号待ちをしていたらへんなクルマがヌゥっと横に現れました。停車中、慌てて撮ったのがこれ。

水陸両用バス、KABA3です。調べてみたら、水陸合わせて乗車45分で3,600円。レインボーブリッジの下も通るんだそうです。

でも、クルマは地上を走っている方が見ていて安心しますね。船も水に浮かんでこそ。

夕陽が当たっていればなお良し、と思います。

 

 

鋼鉄のキリン

東京国際クルーズターミナルから大井埠頭のコンテナバースが見えます。ずらりと並ぶコンテナクレーン、通称キリンが見えます。

対岸にもあります。こちらは青海コンテナ埠頭

1基がEVERGREENのコンテナ船で稼働中です。近くまで行ってみました。

デカいですねぇ。

ところで、20世紀最大の発明は「箱」だった、というお話があります。「箱」すなわちコンテナ。コンテナの登場以前は、海運コストのほとんどが積み下ろしのコストだったといいます。それを根底からひっくり返したのがアルミか鉄でできたただの箱、そしてこの箱を取り扱う一切のシステム(船、港、地上輸送)だったそうです。

「コンテナ物語-世界を変えたのは『箱』の発明だった-」(マルク・レビンソン著、日経BP)。誰も見向きもしないような「コンテナ」にスポットライトをあてた名著だと思います。こういうのちゃんと調べる人、好きだなぁ。

そんなことを思い出しながらボーッと眺めていたら、すぐ上をANAB777が通過していきました。

夕方近くだったので、日没まで粘ることにしました。

夕陽を浴びて佇む孤高のキリン。なんかカッコいい。

2頭(?)並んで今にも歩き出しそうです。

もうすぐ日没だというのにまだ積み下ろしが続いているようです。

今日も一日お疲れ様でした。

おまけ。

左の船は海上保安庁の船です。

夕焼け、良かったです。

次はゲートブリッジに行ってみようかな。

 

ドラマチックな宗谷

東京国際クルーズターミナルのすぐそばに初代南極観測船「宗谷」が係留展示されています。久しぶりなのでこちらも撮ってきました。

オリンパスのアートフィルター「ドラマチックトーン」で撮りました。

これも同じ。

南極観測船として知られていますが、正式には海上保安庁の巡視船だそうです。2736.1総トン、全長83.3m。

そういえば、再放送を録画してほったらかしにしているNHKプロジェクトX」に宗谷の話があったような気がして探し出して見てみました。写真はドラマチックトーンで撮りましたが、宗谷の一生(そして第一次南極観測隊も)もドラマチックなものでした。

宗谷は南極観測船として新造された船ではなく中古船。南極観測船の候補として白羽の矢がたった時点で船齢18年。当初は砕氷型貨物船としてソ連から発注を受けて建造されたものの、当時の時局からソ連には引き渡されず、紆余曲折の後、帝国海軍が買い上げて「宗谷」と命名されました。戦時中は雑用運送鑑(何でも運ぶ船)として使用され、数々の修羅場をくぐり抜けて終戦を迎え、戦後は引揚船を務めたそうです。

南極観測船候補となったときは海上保安庁灯台補給船でした。船体はサビだらけで甲板は穴だらけのボロ船だったそうですが、激戦の海域を生き延びた強運(爆撃されても急所を外れ、直撃された魚雷は不発弾等)が採用の決め手になったらしいです。

内部も無料で公開されています。下3枚の写真は2011年撮影ですが、今も同じものが見られるようです。

宗谷の外にはプロペラが展示されています。

宗谷のものかと思いきや、これは青函連絡船(知っている人どのくらいいるだろう)「羊蹄丸」のものです。なぜそんなものがここに、と思うかもしれませが、かつて宗谷と並んで羊蹄丸が係留展示されていました(↓)。これも2011年撮影です。

残念ながら解体されてしまったみたいですね。

宗谷の人生(?)もドラマチックですが、第一次南極観測に関わった人たちの人生もドラマチック。第一次観測隊長を務めた永田武(ノーベル賞候補と言われた地球物理学者)、宗谷の本格的な砕氷船への改造設計を担当した牧野茂(大和の設計に携わった元呉海軍工廠造船部設計主任)などすごい人達がたくさんいます。

なかでも白眉は観測隊副隊長兼初代越冬隊長(このとき53歳)の西堀榮三郎。スーパーマンです。雪山讃歌の作詞者にして日本登山会のカリスマ。理学博士。京大で教鞭を取った後東芝に入り天才技術者と言われ。戦後はデミング賞受賞、70代でヒマラヤ遠征隊隊長を2度。学生時代はノーベル賞受賞直後のアインシュタインが京都を訪れた際に通訳を勤める。

今の日本にこんな人いないだろうなぁ。

いろいろ書いたウンチクはNHKプロジェクトX」、Wikipedia、西堀榮三郎記念探検の殿堂によりました。

 


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Header Background image by nhaataja from Pixabay. Thanks for the great image.